1月15日 (日)  [1459] 名前はまだない

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夏目漱石の猫、御先祖猫様には名前がない。それに比べりゃ、オイラはずいぶん待遇がいい。しかし、御先祖様は名前などないから名前や肩書きなどに捕われないところから人間界を見ている。人間は、名前や肩書きにこだわるからね。その延長に名声というのがある。名前を知らせたい、残したい、覚えてもらいたい。なんにでも名前をつけることで安心してしまう。疑似安心だということに気付かない。犯罪事件でも犯人の名前がわかれば、それであとは興味が失せる。病気でも病名がわかれば安心してしまう。だからどんなものにも病名をつける。名前をつけるとそれが原因のように思う。なんとか菌というものだとかなると、いかにもその菌が悪いのだ、と思う。何かのせいにすることで安心する。実際、その人の素行や生活が腐っている為なのに。新発見のものやアート作品でも名前をつければもう安心、興味がなくなる。名前は文字である。文字にして本やコンピューターにコンパクトにまとめて押し込んで安心する。実物より名前を重んじるようになる。そんな人間に一喝いれたかったのが、身を持って名無しの御先祖様だろう。偉い御先祖様じゃ。もちろん無名のままこの世を去っていった。本当に立派な猫だ。オイラはヌシに『居心地』と言う名前を頂いた。居心地だから居心地良いという感覚のところから世間を見ようと思う。しかし、実際名前などどうでもいい。名前などにこだわらないのが居心地いいからね。呼ばれても白痴のように知らんぷりで静かにしてる。別にこれといって急用なことなどないからね。ヌシも名前は特にどうでもいい人だから、オイラにとって大変よかったさ。