9月6日 (月)  [971] 可哀想

20040906-1.jpg

 くもりのち晴れ、暑い。
毎年恒例の来る福のたくさんの展示会が近づいている。籠っているから外に出たい思いが働く。しかし今は出られない。そうすると外へのベクトルが反作用で内に向かう。それがもっと籠りたいとなる。いつもはマンガ本などを読みたくなるのだが、最近は小説を読むなどという事を覚えたのでコーヒータイムに籠って小説を読んでいる。
この間、山本周五郎の柳橋物語なるものを読んだ。可哀想で可哀想で嗚咽号泣。こういう物語をテレビドラマにしたいと思うだろうが、そうするとつまらない。などと思ってインターネットで調べたら、あら、やっぱり2年ぐらい前にTVドラマになってた。こういう涙の感動もんは溝口健二のような映画監督が作ったら重くて重くていいだろうなぁ。3日間ぐらい泣き寝込んでしまうだろう。柳橋物語を読み終えて日が経って思うのだが、ストーリーは思い出すが、細部の詩的な言葉や感動したセリフや作家の本当に云いたい感覚などは忘れてしまうか、薄らいでしまう。それが本当に心に必要なのに‥ 
ではもう一度、同じものを読めばいいのだが、なかなかそうはしない。新しい本に手がゆく。作家というのはそれを分っていて、違う物語を書きながらやはり何度も何度も同じメッセージ観を放っているようだ。
なるほどそういうものなのかとつくづく感心して、この物語を書いた時、山本周五郎は幾つだったのだろうと調べたら、ワシの今の年令と同じぐらいの頃に書いたものだった。ふ〜ん、そうか、このぐらいの年令になると自分の云いたい事が明確になってくるのかもしれないな‥
可哀想といえば、あまりに惨い。ア〜他所の国では小さい子供らが大量に殺された。いつ殺されてしまうか解らない戦争好きな政治家が作った小学校へ行くのを蛇ピーは止めて籠った。どこへいっても逃げ場がない事を知ったか知らないか籠って楽しい文字を書いた。新しいもの書きがまた一人生まれた‥