9月23日 (木)  [985] 死なない

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 曇り、ちょい寒い。
今朝は枯れ葉掃除しないもんね〜。しばらくする気ないもんね〜。下水に枯れ葉が溜まるまでやらないもんね〜だ。
あの庭一面青々していた季節も過ぎ、葉っぱも瑞々しさは失せ茶色や黄色になって散る。人もそうなって散る。諸行無常だ。自然の流れッちゅうことだ。落ちてきた枯れ葉を嫌うのは、老いゆく自分を嫌うようなものだ。人は間違いなくみんな老いて終いには死ぬ。これこそ間違いない真実だ。これをおいて他に、こんな明確な真実はない。真実を嫌ってどうする。嫌って暗い気持ちのまま、これから先を生きるのは病気の元だ。そうなるのが真実ならそれを受け止め、枯れ葉でいっぱいの秋を楽しもうではないか‥
ワシ、隣の親父が猫嫌いということで塀を作り、うちの猫が車社会の犠牲になり死んだんでフェンスを立て網を張り、今度は枯れ葉が嫌だと云われ世間体を止める。仕事面では飲んべえにからまれるから招き猫の集いは遠慮する。どんどん世間から追いやられている。まったく自閉症だ。ほんとに世間という所は住みにくい。そういや、故郷にも帰らないし、学生時代の友人や昔遊んだ仲間とも会わない。過去や世間のしがらみ捨てまくっている。ま、しょうがない、他人や世間と闘ったり気兼ねしたりして付き合って短い生涯を無駄にはしたくない。でも、ほんとのところ世間というものが既成概念で閉じて狭いのだ。だからだろうか、反作用で内面は大自然に吸い込まれつまらん思考の壁がどんどん消え空間が広がっている。その影響が自然と作品の表情にあらわれる。はっきり大自然に身を任せれば心なごむ作品ができるわけだ‥
ところで、空間と同時に時間も広がり何百年と生きるような気がするんだけど‥気のせいかな?