8月7日 (土)  [944]  銭失い

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晴れ〜くもり〜大雨。
昨日、ビッグなマーケットに買い出しに行った。ここは、都会の商店とかも買い出しに来るような大量安売りの問屋のような所。紙袋もビニール袋も包装紙もない。建物は工場のように壁や梁がむき出し。食品から家電までなんでもある。たくさんの席があるファーストフードもあるので、親子連れがお出かけ気分で来れる。
大きなカートに肘をつきながらゆっくりとぐるりと回っていると、別に買うつもりもないのに、つい、あらコレ安い!必要なのではという気持ちにさせられ、品物はカートの中に入る。
把手が猫のマグカップがあった。
ア〜そういや、数年前、初めて陶芸の窯を手に入れ釉薬にハマった時、アイデアの限りを尽くしていろんな器を作った。ここにあるマグカップはワシのアイデアに似てる。最近似てるものが多いだけでなく、そっくりコピーまである。そういうのを見ると作り手としてのプライドはないのかね、と情けなくなってしまう。極めるとか創造とかオリジナリティとかはなく、商売ばかりに走ったら結局満足がないのに、その事に一向に気付かず、儲かるアイデア探しに他人の作品を模倣する。
マグカップ見ながら、ちょっと手軽な安い変な器など作ってみようかしら、などと思った。ところが、同時に、ふと、なぜか『安物買いの銭失い』という言葉がよぎった‥
そうか、安い物を作って売るという事は、買うお客をいずれ銭失いにしてしまうんだ。安物を作るという事は作り手というより商売人、安さの競争に巻き込まれ、どんどん値は下がり作品の質も下がる。作り手の精神も汚れて地に落ちる。お客は表面上安い物で喜ばされているように見えるが、どんどん妖怪銭失いにされているのだ。自分の作品を気に入った人を妖怪にするような事をしてはいけない。やっぱ、安物はヤメ。商売するような作品ではなく楽しい美しいすばらしい逸品を作るのだ。その作品を扱う人も売る人も買う人もみな商売抜きで生涯大切な宝と戯れているとして楽しむのだ。そしたら、喜びはまわり巨大な渦となる。商売の喜びなど所詮表面的で一時的なもの。止まる事のない喜びの渦をめざすのだ。さあ、立派な高い作品作るぞー
カートをレジに運び合計値段を見たら、なんと!4万円近くも買っていた。
ほらみろ、安物買いの銭失いになっているではないか‥