2月12日 (木)  [788] 深み

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はれ。
昨日の話で、今度開催される美術館での企画展のカタログの中に去年ミュンヘンでやった展覧会に出展されたアンティック作品『カゴの中のフェリクスを運ぶミニーマウス』と僕の作品『アートム&ジェリーBoy』の対比がなされている。
それで、今朝二つの写真をインターネットで調べ眺め、ハッと気付いた。
(ミニーの写真はアマゾンのPartnersの書籍で調べられる)
自分でも気付かなかった点が、Bスパイキュレーターの視点とは違うが、彼が対比してくれたおかげでアートムのけっこう深いところが見えてきた。
早速、Bスパイにメールする、要約はこうだ。
…群馬県立近代美術館Bスパイへ
朝起きて、何の気なしに、『カゴの中のフェリクスを運ぶミニーマウス』と『アートム&ジェリーBoy』の写真を対比させて眺めてみた。
ミニーマウスの方は、政治的で復讐してるわけだ。見るものに同情的な感情を引き起こす。しかし、それは被害者が加害者になり、今度は加害者が被害者になるような永遠に続く争いの歴史の一幕だ。
ところで、アートムの方はとじっくり眺めこんなふうに思った。
トム(猫)とジェリー(ネズミ)という戦うもの同士の合体、次にアトムという日本(東洋)のアニメとトム&ジェリーというアメリカ(西洋)のアニメの合体、次にアトムという無機体とトム&ジェリーという有機体の合体、そして言葉遊びではあるが「アート」という創造生産的な言葉と「無」というなんもない反対のものの合体、それらがだれひとり我を張らず戦わずして渾然一体化している。
ミニーマウスの方が戦いの歴史であるのに、アートムは戦う歴史に終止符を打っている。
前者が時間的で後者は無時間的ゆえ、後者が根源的であるといえる。
君がアートムを初めて見て気にした感覚は、たぶんこのようなものを含んでいたのではないだろうか。
福を招く招き猫という郷土玩具の様を呈してはいるが、10万ドルというちょいと高い値段にもかかわらず欲しがる人がいるのはそんな訳だからではないだろうか?
余談だが、ミニーマウスでもう一言。何故ミニーなのかというと、ミッキーが威張ったヤナ男になったらフェリクスをけしかけてやろうと持っているのではないだろうか?
西洋の女は気が強いと聞くからね。ここでも、男女は心理的に戦っているみたい…云々。
さて、仕事復活じゃ。