11月18日 (木)  [1039] 赤ちゃんと海

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 雨
酒止めてけっこうなるが、不思議なことに、酒を欲しがるのは、止めようと思ってた時だけだ。止めると思っていることに反発しようと酒を飲みたい思いが出てくるみたい。ただ単に、思いが二つに分裂しているだけのようだ。酒は単なる素材であってそう重要な要素ではないみたい。そして決心した瞬間、分裂は治まり酒止めたわけだが、今いっこうに欲しいと思わない。身体のことを気にして酒を止めようとしたのがきっかけだが、もっと大きく広く奥深いことに向かっているような気がする‥
酒に溺れる。麻薬に溺れる。性欲に溺れる。金や名声欲に捕われる。大体、こういうものは利己的な快楽がほとんどでやり続けても自由・幸福は分からん。なぜなら酒や麻薬があって自由・幸福というなら、これをとったら不自由・不幸なわけだから、普段は不自由・不幸なことになる。だから、溺れ追い求め癖になる。不自由・不幸という檻の中から出られないわけだ。ね。酒や麻薬をやらない、できない、そんなものに興味のない人とは話しが通じない。
麻薬をやって自分はダメ人間なんて思うのはうぬぼれだ。そんなのにハマってしまえるんだから欲深い力のある人間だと威張っているんだよ。本当のダメ人間は酒も麻薬も性欲も金欲も名声欲にも縛られない人間のことだ。まるで赤ちゃんのような存在だ。赤ちゃんの目の高さは一番低い。これは大切なことだ。私たちの身体の中の70%近くは水だ。その成分は海水と変わりない。水は高い所から低い所に向かう。どうせなら本当の最低のダメ人間になれば、赤ちゃんや水みたいなものだからみんなにあるものでもともとみんな自身であるわけで皆と共通で誰とも平等だ。皆海だ。人類は海から生まれてきた。それが海に育ち海にいるなら、それは母の体内にずっといるような幸福感だろう。
人がいろんなものに溺れたいのは、幸福満杯の海に帰りたいからなのだろう。