9月10日 (水) [647] 豊かな未来? 『平等』と『特別』について。 「人間はみな平等」ってのは自分の身体で考えるとわかりやすい。 例えば、身体の中の脳が一番という視点で見ると、知識が一番、頭良くなきゃただのゴミ。 心臓が一番という視点で見ると、頭なんか良くなくったって丈夫であればいい、身体弱いやつはゴミ。 平等ってのは、脳も心臓も胃も足も手も目もなにもかも特別な役割をしているが、それらは喧嘩するわけではなく足が手を嫌うわけでもなく、右手が左手をうらやましいと思うわけでもない。 総てが平等の価値をもっていて、たとえめったに使わない足の小指だって、なんとなく撫でたいぐらいかわいい。 それぞれがそれぞれの価値を認めてる。 これは個人の身体に付いていっているから、ある程度理解できる。 なぜ理解できるかというと、その身体全体が自分のもので大切だと思っているから。 これと同じように、世界を、地球を自分なんだと知覚できるはずではなかろうか? 空気や水、その他がなくては自分は平常な精神や肉体では存在できないとなれば、それらも大きな範囲での自分ではなかろうか? そうやって自分の範囲を、別に有名とかにならずとも、大袈裟なこと打ち立てなくても、権威を持たなくても、世界しいては宇宙までもが大切な自分にならないだろうか? それが出来ないから、この地球という身体のあちこちで無知な部分同士の無惨な争いが起こる。 みんな、この大きな世界の部分であるくせに、他の部分を敵と思い込み、身勝手な部分だけが欲こいて全体になろうとするところに誤りがあるのではなかろうか? ‥豊かな未来が、人間の勝ち誇った部分だけ肥大化して‥頭でっかち大頭マンとか、巨大チンポのデカチンマンとか、巨大胃の不太ウーマン、笑えるけど、ヤバくない? |