2月7日 (金)  [450] 渾沌の道

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春みたい、あったかいです。
昨日風呂屋の帰りに福寿草を買った。
黄色くて力強い感じ、この寒い時期に咲くんだもんな。
梅の鉢植えの花が2輪だけ咲いているので隣に福寿草を置いて眺めながら外で朝飯をとる。
こうやって冬の庭を眺めていて、このかれたような土の下に沢山の草花の種や芽がじっくりじっくり成長しているのかと思うと不思議だ。
大地というのは冬かれて色気もないままズ〜ッといて、春になると人間が温室で作った草花や木を植えて初めて、ハイ、春で〜す、となるような気がする。
そうではないと知っているのだが、知識というものはなんでもかんでも結論を出すのが得意なので、風景を静止したものとして捕らえがちなのだ。
全ては一瞬の休みなく変化成長している生命だとは受け入れていない。
また、自分を大自然から切り離して捕らえているせいもあるだろう。
人の右手と左手がその本体といっしょであることと同じで、自然と人間の本体はいっしょなのだ。
なのに、バラして考えるから人間は違うと自惚れ余計なことをやる。
大地とは、人間が何もしないでもじわじわじっくりしっかり草木を育み動物や人間に食料を与え、間違いや傷を自ら治癒する。
育てるのは大自然がやり人間は時々手伝う。
人間はどうあがいても、育てられている側なのだ。
そうむやみに自然を破壊したり争ったりしてぐちゃぐちゃにしてはいけないのでは?‥程々に。
それでも大自然はなんも言わず我が道をゆく。
ヨンダイも玉無しになった。
僕が猫だとして、どっかの家に拉致されたとする。
そこでは、その家のルールに従うよう躾されるが、自由が最高とやんちゃで反抗的、しまいに去勢され玉無しにされる。
それでも、僕は玉など生まれつきなかったものとしてかえって気楽に生きて、人間のように招き猫作りなんかではなく本物の招き猫に成れるだろうか?
ポッチーもヨンダイも玉とられようがなにされようが、しぶとく我が道を生きてくれ。
どうせ、だれだってなんだって不完全なのだから‥だから完全だ。
渾沌(大自然)は我が道をゆく。
その道を、部分である人の知識は知るわけがない。