2月24日 (月)  [467] 天才教育

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ぐっすり眠れました。
もう、目が覚めたらすぐに、池を作る所を眺めた。
あいにく今日は雪まじりの雨降りで、池造りも畑造りもできないが、小雨の中、外に出てずう〜ッとそこを見入ってしまった。
どのような形にしようか?どのくらいの大きさにしようか?‥
ここはこうして‥陽が射すように、このツツジは植え替えて‥池の中に入れる土はどうしようか?あっ!去年お玉を捕まえた所から持ってこよう‥そうすると、ヤゴやミズスマシやいろんな生物もいて‥夜ライトをつけて‥噴水なんかもつけちゃおうかな‥ちょろちょろと音がして‥水琴窟なんかも作ろうかしら‥ア〜ここでの夜の食事が楽しみだなぁ〜‥
などと、思い描いたら楽しくなってきてしまい、しばらく雨にうたれていた。
池のことから始まり、木のこと、土、畑、庭全体、生活、時間、粘土いじり、個展、こんとん祭と、どんどん広がっていく。
あ〜楽しいなぁ〜生活に張りが出てくるね。
今日は外に出れないので籠ってこまい仕事を終え、天才福猫の粘土いじり。
…天才教育なるものがあるらしい。
小さい子供にすごいスピードで言葉、記号など知識を詰め込んでいく。
子供の頭はからっぽだから、親の言うことならばと信じているのでばんばん知識を吸収してゆく。
生きてる人間に古い錆びた物を詰め込んでどうしようというのだろう?
生きた者まで錆びた物になってしまうではないか?
自分の子供を新鮮なうちから死んだ骨董物にして飾り物にする必要はないだろう?
親が誉めてくれるから‥まるで飼いならされた犬、ペットだ。
こうやって知識をつめられて利口になった子供は大人になっても知識を渇望する。
どこまで詰め込んでも、満たされることはない。
利口だ、頭がいいと言われながらも、本人は満たされない。
人前で知識をひけらかしても、満たされない。
頭がからっぽな時、心が空のように広がり満たされるのです。
天才というのは、頭の中に何も詰め込まれてない、まっさらな純真無垢をいう。