1月11日 (土)  [425] 生きがい

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昨日歩いたからか?デザインなどという数学的なことをやったからか?抜歯の影響が出たのか?一人暮らしも終わったので気が抜けたのか?ぐっすり10時間も寝ていた、それでもまだ眠い。
昨日、なまけ先生の知的障害者の話しを聞いて、ふと思ったのだが、彼はその職業に生きがいなどを感じているわけではなく、心はどっかあらぬ所を彷徨っているようだ。
現実というものの中で生活費を稼ぐためにやっているだけかもしれない。
かといってお金がわんさとある閑人が充実してるかというと、そうでもなく心が空しい。
人はだれもかれも同じものだ。
なんか、ふと、チベットの言葉がよぎった。
過去は川の水の上に絵を描くようなもの、流れて消える。
未来とは干上がった池で魚を釣るようなもの、そんな先のこと無駄な考えってこと。
現在とは家事や仕事で追われて目まぐるしい、生活の奴隷ってこと。
確かにそうだよね。
昔ばっかり思い懐かしんだり捕われたりで心ここにあらずの人。
将来ばっかり気にして今のことが手に付かなかったり今を楽しめない人。
現在の多忙に追われ心に余裕を持てない人。
こうなってくると人は生きがいとはなにか?を探し考えはじめるようになる。
ワシも猫作り始めた頃はちょっとした生活費が入るだけで、猫に特別興味があるわけでもない、この仕事に生きがいあるわけでもない、いつも逃げることばっかり考えてた。
もうなんもかんも捨てて永遠に南に向かって旅をするんだ、蒸発してやるとかさ‥
でも、若い頃いろいろ行きっぱなしの旅をしたが、旅をしてれば今度はお金がなくなる、働けば動けなくなる、の堂々巡り‥
ある国でトラベラーズチェックを偽造しては現金に変え違う国に逃げ、またそこで偽造して現金を作って旅してる人に会ったけど、あれじゃぁ犯罪でいつも追われる身だもんな。
だから自分はもう逃げずに、生まれて初めて忍耐ということをやりながら猫作りをしてみた。
別に耐えることが目的ではなく、唯一この仕事に専念できたのは、自分の発想が他人に喜ばれるということだったんだ。
その忍耐という所から悦楽の芽が出てることに気付き、それに陽を当て、水をかけ、栄養与えたら‥どんな花が咲くのだろう?と世話や育てることを始めた。
僕だけの花、僕だけの旅を始めたのかもしれない‥
どんな花を咲かすかは解らない種を鉢に入れ、ちゃんと陽や水を与え、長い年月見守ることが、旅であり生きがいというものではないだろうか?