9月2日 (月)  [302] 退屈観察

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9月2日晴れ
たいてい人はいろんな事をして楽しみたがる。
このように粘土いじりをしてて、そろそろ展覧会だからと忙しくなり気が焦ってくると、なぜかとても退屈になる。
手先と眼だけ忙しく、その他の身体の部分を使って無いからだろうか?
昔、僕のばあちゃんが90歳ぐらいの時、こたつに入ってふすまをみていたので、何考えてんの?って聞いたら、退屈だ〜といっていた。
そうか、90歳になっても退屈なんだ‥
じゃあ、人生ズーッと退屈なんだ‥その時それを知った。
だから人は楽しい事やシャレやいたずらなどを探しては行為する。
でも楽しみもシャレもいたずらも同じ事を二度三度やるとそれは楽しくも何とも無い、かえって退屈だ。
ただの慣れというものになって甘えになって、退屈から逃れたい逃れたいとなって楽しさは辛さというものに変化してしまう。
今度は辛さから逃れたい逃れたい‥これでは堂々回りだ。
それに、同じ事を何度もくり返すと新鮮ではなくなりどろどろして流れが悪くなり、まるで昨日のヘドロだ。
…まずは退屈から逃げず、退屈を観察してみよう。
新鮮が垣間見えるかも…
そういや、トン子のその後のその後は?
私もトン子です。
などの声が聞かれるが、トンにしろ、ヤセにしろ、ガミにしろ、ガツにしろ、イカにしろ、グチにしろ、その都度、新鮮さを忘れヘドロ化している事に気付かなきゃア。
いくら楽しみだからってマンネリ化したら、やはりどんなもんでも腐ります。
いつまでも自分の考えに固執しないで外的自然治癒力に任せ、さっぱりしよう。
今日はひさしぶりにみそぎ猫という作品を粘土いじりした。
この作品は初期から結構人気の作品で、人気ある分だけ作るの面倒になり、しばらく止めていたのだが、復活して何の気なしにいじってみたら、、これはまだまだ進化するぞーと思えてきた。
ものはまっすぐ一方向へ進んでいるのでは無く、木のように枝分かれしながら広がっているのかもしれない?
退屈もみそぎ猫も大きな何かの木のどこかの枝であって、のびようと進化しようと待ち構えていたのかもしれない。
さあ、陽を当ててやろう‥