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9月1日 (日) [301] 叡智 9月1日晴れ ハゴロモモの白い小さい花が咲いた。 ハスのつぼみはふくらみつづけてる。 道路の枯れ葉を掃除したついでに下水の泥や枯れ葉を素手でとったら手が臭い、ヘドロの匂いだ。 水で洗い流したがダメ、せっけんで、たわしで、スポンジでごしごし洗ったが、ゲッ臭い。 竹酢液をつけて炭の匂いで誤魔化そうとしたら、匂いが混じっちゃって、ゲエ〜。 最後の手段でキメのこまい絹の布でせっけんつけて洗ってみた。 なんとなくは落ちたと思うが、匂いというのは気にしはじめるとどうあがいても落ちた気がしない、気にならないと思い込んでも、手をなめる事はできないから、気にしてる。 半分は気のせい、イメージというものだろう。 何でもなんかしらの匂いがついているもので、匂いなど無いものは無いだろうから、何かの匂いを嗅ぎ付けようと鼻を利かせ、沢山の匂いの中からかすかなヘドロの匂いを読み取るとは、その時ばかりは、動物の鼻になっているのかもしれない。 猫などは、デッキの上の日陰にだら〜ッとしているのに、時々クンクンと鼻を動かし、むくッと起き上がり、どこぞの方向にゆっくりと歩いてゆく。 と、そこに今にも死にそうなアゲハチョウがいた。 アゲハチョウの匂いが微かに風にのってきたのだろう。 すばらしい。 そんなに鼻が利くなら普段臭くて臭くてたまンないだろうと思うのだが、都合の悪い臭いや余計な匂いはカット出来る。 人間だってそうだ。 気にするかしないかでかなり違ってくるし、生命にかかわる匂いや音などはすぐにも感知できる。 それをできない人間は物事を意味やイメージで囲いすぎだ。 あっ!これはやばい、これ以上いってはいけない、してはいけない、おかしいぞ、空気が争っている、危険だなどはすぐに感知出来て、そのやばさを頭より一歩前に解っているのが自然だ。 その感覚を無視して一歩遅い頭で理屈こねて無理に通そうとすると外的自然治癒力がバカになっちゃう。 自然治癒力には、よくいわれる身体の内部をちゃんとしようとする内的なものと、人間関係、人間と自然との関係のバランスをとってまともな方向へ運ぼうと働く外的なものの2種がある。 この外的自然治癒力をないがしろにすると、知識や政治法律などに頼るギスギスした人間関係になって、愛はどこかへ消えてしまう。 …この外的自然治癒力を叡智というのです… |