11月8日 (金)  [363] ケンカ

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曇っているからだろうか暖かい。
今日は、この間の猫町にいった時に出合ったひさしぶりのクリクリ君と初めて会ったトロトロちゃんがやって来た。
だれか来るとなると、仕事ができなくなると思うのか、その前にやることさっさとやっておこうと粘土いじりに励みがつく。
もう、そろそろ来るだろう、と、でも、あ!こんなの作ってみたいナ、と作る。
まだ、来なさそうだな?じゃあ、こんなのも作ろう。
あら結構いい、じゃあこうしたらどうだろう?まだ来ないからと作る。
いけるいける、じゃあもっとこうしたらどうだろう?
まだ来ないだろう?でも約束の時間も過ぎている。
もうちょっとこういじりたい、あーいじりたい。
まだ来ないから来るまでまたいじる。
なんか知らぬ間に、いつもより質も量も充実してしまいました。
暗くなってからお二人は現われ、まあ、風呂でもどうぞ‥カンパーイ。
ところが、SS(せいに する)が、酒飲むと絡み癖が出てくるようになったのか、しつこいんで、あとに引けなくなって口げんかしてしまった‥それも夜中過ぎまで。
過去の事を持ち出して思い出して腹立ててる。
腹立てると悪いことしか思い出さなくなって、どんどんド壺にハマる。
客人唖然としてた。
お互いアホだよね、せっかくの酒が悪酔いになってしまった‥いいもわるいも心次第なのに。
過去の気まずいことを持ち出してもラチあかんて。
想像とは過去を振り返らないことです。
なぜなら、善くも悪くも過去とは死んだイメージですから。
死んだものに、大切ですがすがしい今を明け渡してはいけないのではないだろうか?
ワシも、いちいち、過去の亡霊相手に説得してもしょうがないのに‥聞く耳持たずだもの。
ア−情けない‥反省して、前へ歩もうっと。
「わたしが、こうなったのは、あなたのせいよ」
あなたが善くも悪くもそうなったのは、だれのおかげでもだれのせいでもありません。
ましてヤ自惚れ強い自分のせいでもありません。
だれかのせいにするのは、精神が何かに頼っていて依存しているからです。
依存とは、だれかがいないと存在できない幻のことです。
何者のおかげでもせいでも無いと気付いた時、幻は消え、自然や風景や宇宙と一体化した心地よい笑いに包まれるのです。
これは似非優しさではありません。