11月5日 (月)  [38] 自然 [39] 銀杏

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[38]
11月5日
昨日はやっとこれら個展用うき十二支を完成させた。十二支は今まで何度も作ったことがあるが作るたびに変化していつも違う…上達してんのやら?
前に祈り猫が通販生活に出た時なんか手がだんだん下がってきているとお客さんの声。本に載ったものと作ってんのを比べたら、ほんとだ、まるで違う。
大体わしはその頃同じもんを作ると知恵熱が出るだもんしょうがない。
未だにそうだ。が、時々同じもん作るのが楽しくなることもあるから不思議だ。
同じものを作らない人だと思われんのもなんだから同じものを作るのかな?
朝出来上がった作品にコーティング用のスプレーをする。
寒いし臭いのでマスクをして帽子をかぶり外でする。
マフラーをした女性が足早に駅の方へと向かっている。
寒くなってきたなあ。
大きな木、銀杏、神社、落ち葉、手袋、たき火などが連想され、冬に向かっているんだなあっていう感じだ。
……自然は刻一刻と変化します。
変化しないものなど何一つありません。
僕らの身体の何億という細胞も一個一個自然と一緒に変化しています。
間違いなく新たな初めての経験をしているのです。
それなのにあいも変わらず同じことにこだわったりしたりすれば、身体と頭が喧嘩してスムーズでなくなります。
流れが滞るとよどみ腐れます。
またわざわざ変化をはや回しにするのも身体と頭が喧嘩します。
自分の内部がバラバラな人に、他人と一体化するような愛などあるわけがありません。
愛着や愛欲や愛玩は愛ではありません。
所有です。
頭が何も所有しない時、本当に自然なのです。

[39]
秋になるとぎんなんが食いたくなる。
毎年10月中旬、近くにあるイチョウ並木のある所に朝出かけ、ぎんなんを拾う。のだが、近くのおばちゃん達が日の出とともに拾いに来るからほとんどない。
でも木を蹴飛ばしたり木の枝をぶつけたりして落とすと40個ぐらいは手に入る。
これを自宅の庭で焼いて食う。
旨いんだナこれが。
ある年、イチョウの葉が余りにもきれいなので、ビニールのゴミ袋に3つ程をぎゅうぎゅうに詰めて持って帰ってきて、庭一面にばらまきしきつめ、しばし黄色い庭でギンナン食いながら秋を満喫したものだ。
でもそのうち葉っぱも枯れちゃって色も落ち、掃除かたずけがとんでもなく大変だった。
が、集めた葉っぱをたき火にして焼き芋食ったもんね。
今年は引っ越しなどの違うイベントがあるんで忘れてしまった。
勿体無いことしてしまった。