もりわじん絵日記 2007. 5
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5月31日 (木)  [1958] 誕生日21

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  RAIN
では、もっと先っていったいなんだろう?
自由自在。
無我の境地でしょう。
それこそ、大悟というものでしょう。
超人でしょうね。
どうせなら生きているうちにこの最も価値があり最も得難い神の如きものと一体化してみようよ。


5月30日 (水)  [1957] 誕生日20

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 FINE,RAIN LATER
お金というものはそれを得るために躍起になってしまい、その先に行くことを忘れてしまう。
お金にこだわり縛られ不自由になってしまう恐れがある。
ダニーはお金の羽布団でお金の降るところでお金にまみれて死にたいと言ってた。
今、ダニーはここで地団駄踏んでいる。
地団駄踏んでいるということは「こうではないのでは?」と微かに疑問に思っているのだろう。
先に行きたいのに矛先が違っている。
もっともっと稼ぐというのが「先」だと勘違いしてしまっている。



5月29日 (火)  [1956] 誕生日19

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 FINE
ところで人々が最も気になる欲しいお金というものはいったい何だろうと考えてみる。
「欲しいものが買える。安心がある。威張れる」などなどいろいろある。
もっと心理の奥深くをまとめてみると、
「お金は、赤子のように楽しく自由に不安のない幸福を与えてくれそう」だ。
なんのことはない。
なるべくならお金など飛び越えて、直接、赤子のような幸福を手に入れればいいわけだ。
それにこしたことはない。
その方がもっと先に行ける。
ここが大切だ。
もっと先に行く。
誕生日のパーティというのは、そんな赤子の精神を思い出すためにやるのかもしれない。


5月28日 (月)  [1955]  誕生日18

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 FINE
たぶん「お誕生日プレゼントに誕生月日の入った招き猫はいかが?」などという商品はでてくるだろう。
現に近所のアメリカンダニーが、こんな商品があるよと見せてくれた。
それは招き猫ではないが、台と一体化したプラスチック人形で、台にHAPPY BIRTHDAYと書かれていた。
これは商売人の発想だね、と一瞬見て思った。
売りが目的だ。
ステージが違う。
土俵が違う。
なぜなら「ザグリ」がないからだ。
商売には「ザグリ」ではなく「きれい」とか「可愛い」とか「手が込んでいる」などの装飾や作りが必要だ。
装飾や作りは弱気の裏返しだ。
「ザグリ」とは無垢のことだ。
無垢の意味は垢がないのだから、これこそ「きれい」であり「可愛い」、そして垢を落としていくわけだから「手が込んでいる」わけだ。
だから、何より「ザグリ」が大切なのだ。
「誕生日」と同等に「ザグリ」が大切なのだ。


5月27日 (日)  [1954] 『G・ふくふく猫のばあちゃん』20

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 FINE
G・ふくふく猫に行く。
このお店も今日で最後だ。
「ギャラリーを猫神様系で埋めようと思うんだ。ばあちゃん、そろそろあの世に行く
だろうから、その方がいいかい?」
「そうだねぇ、仏様に囲まれていけるなんてイイわ」
「どうせなら、ばあちゃん巫女の衣装の白い着物に赤い袴着て、頭に猫の耳つけてよ。
ネコババァのミコババァってのはゴロもいいし、なかなかいいんじゃない?あっ、それ
イイワ、可愛いわ。ギャラリーの名前もわじんじゃ、『わ神社』にしようか?作品置く
よりばあちゃん台座に座ってもらった方がいいな。ミコババァ生神様ってことでさ。
ん、こっちの方が面白いわ。どう?ばあちゃん。谷中名物になるよ」
「いやよ!」
「でさ、死んだらはく製にしておいとくの。今とそんなに変わりないし。そしたらもっと長くギャラリーもできるじゃない?」
と、こんな話をしていたギャラリーだが、おしまい。


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